3.11 あの日からのこころの旅(8)

少年たちと別れ、釜石へと向かう。
途中、車内から一歩でると、消毒液の臭いだ。何もない土の上にポツンと線香が立つ。
警察官が沢山いる。無言で俯き歩いているその表情は疲れきっている。
遺体が上がったのだろうか…。
釜石は未だ手付かずのままのようだ。目を背けたくてもできない、生々しい傷を凝視しているようだ。ひどい…。
私達はそれ以上の言葉を失くしていた。無言で日が暮れるまでただカメラを向け続けることしか
できなかった。

大船渡へ向かい、モーテルを見つけて宿を得た。車中泊にならずに安堵した。
何よりも体を横たえたかった。
 

物資は行き渡ってきた。
物は時が来れば満たされる。
人の心は再び前に進むことができるのか。
これからの支援は、心の支援、長く続く心の支援…。違う!支援なんて偉そうなものじゃない、お互いの一人と一人が心を通わせていくことじゃないのか。小さなちっぽけなことでも分かち合える、そんな人間同士の根っこにある共に感じることじゃないのか。
そう、感じていた。

 
朝、雨の音がしていた。4月も下旬なのにこちらは2ヶ月前の季節を感じる。
長時間の運転とカメラを担ぎ、工事現場用の重い長靴を履いて歩いて入っていけるところまでどこまでも入っていく。二人とも何かに憑かれたかのように無言で黙々と淡々と目に映る光景にシャッターをきっている。そしてまた車を走らせる。車中で移動中もほとんど話さない。ただ次の場所へとこの体を向かわせるだけだ。
さすがに疲労が溜まっていたのだろう。起き上がれず少し遅めの出発となった。
大船渡を出発し、陸前高田へ向かった。

 
海も陸も境目がない、まるで浜辺に家が建っていたように基礎だけが残っている。
山の麓に高田高校、校舎全部波に飲み込まれたのだろう。そして校庭であっただろう校舎の手前には海から押し流されてきたものが、幾重にも折り重なっていくつもの山を作っていた。
全てが滅んでしまったのか。息づいていた生命があったはずなのに。
いのちの痕跡を見つけたい。
祈る気持ちで、ただただいのちのを痕跡を見つけたかった。
山の上には高田小学校があり避難所となっていた。この数メートルの差の光景はまるで天からカーテンを降ろされたように天国と地獄を見たようだった。

山側から気仙沼に入る途中、竹駒小学校へといく集落で警察官が捜索活動をしていた。
唐桑町の小さな湾を過ぎ大谷海岸の手前に鳥居が残っていた。
日が暮れかかった中に朱色が浮かび上り何かとてもありがたく、すがるように手を合わせた。
今晩の宿を探さなければならない。その日行けるところまで行き内陸部へ入り宿を見つける。
時間も遅い。最悪は車中泊と覚悟しながらモーテルが見つかり安堵する。この旅のあと何度も被災地へ通うことになるが、モーテルに宿泊というのが当たり前になった。時間も自由に動き回りたい私達にはとてもありがたかった。
この日は21時を回っていた。古川近くの大郷町のモーテルに泊まることが出来た。
 
 
ガレキのなかに 草は生え
鳥も いつものとおり 空を舞う
 
人間は 人間が造ったものに
殺されていくのか
 
自然に同化し
自然にかえってゆくのか

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